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フリーの小噺と好きな音楽

沖縄にジャズの修行に行ったヤマハ音楽教室のM先生のことと、音楽を習うことの素晴らしさについて

どうも、ヘッドホンで音楽を聞くときは「エアドラム派」の田島メカです。

 

今日の夕方、外回りをしてその帰り道、通り沿いのヤマハ音楽教室に、くらーい顔をして入っていく小学5年生くらいの女の子を見ました。ぼくも同じような経験があって、なんだかグッとくるものがあったので、そんな思い出話をしてみたいと思います。

 

嫌でたまらなかった週に一度のヤマハレッスン

むかーしむかしのワンスアポンナタイム、僕も実家から自転車で20分くらいのところにあるYAMAHA音楽教室で、エレクトーンを習っておりました。本当に子どもだったころは、ただ褒められるのが楽しかったためそこそこ頑張っていたものの、小学校高学年になるころには、とにかくその教室が嫌で、毎週火曜日がレッスンの日だったのですが、月曜日の夜あたりからもうすでに相当憂鬱だったことを覚えています。

 

憂鬱だから練習しない

練習しないからレッスンで先生に怒られる

ますますエレクトーンが嫌いになり、憂鬱になる

憂鬱だから練習しない

 

という悪夢のスパイラルに完全にはまってしまい、エレクトーンに関しての当時のいい思い出は何一つありません。火曜日が祝日だったりすると嬉しかったということくらいです。レッスンに行けば怒られない日はなく、怒られないように慎重に弾こうとするからますますミスタッチの連続、また怒られ、また萎縮する、という地獄の2時間あまりをただただ耐えるということが続きました。

 

ヤマハ、とんでもない刺客を放り込む

そんな状況が一変したのは小学校卒業の直前、いよいよ子供ながらに辛いレッスンに耐え兼ね、「始めたことは最後まで続けなさい」という方針の親に「それでもどうしても辞めたい」と言おうかどうか考えていた時でした。ありていに言えば、ヤマハの諸事情で、担当の先生が代わることになったのです。新しく担当になるということで、僕のレッスンにちょこっと顔を出してくれたその先生は、とびきりキュートな女性の先生で、不純ながらそれが理由で「もうちょっとだけ辞めないでみよう」と思ったのを覚えています。ここでエレクトーンを辞めなかったということが、振り返ってみれば自分の人生の中で今のところベスト10に入る重大な選択となったわけですから、世の中の「先生」と呼ばれる身分の方には、自分の見た目をもっと気にしていただきたきたいと痛切に願うばかりです。

さて、不純な動機でエレクトーンを続けることになった僕ですが、そのキュートな先生(以下、M先生)のレッスンは、最初から驚きの連続でした。「手始めに実力が見たい」ということで、とりあえず今までのレパートリーを先生の前で弾かされたのですが、それを見た(聞いた)先生の総評が

「メカ君この曲好き?私は好きじゃない」

というものでした。

 

エレクトーンが楽しくなった中学時代

それまでの僕は、エレクトーンのレッスンというものを、「曲を習得する」ということを目的とするものだと考えていました。ここでいう「習得」とは、「先生から渡された、自分に適した難易度の曲をミスなく弾くことができるようになること」であり、一つの曲を「習得した」らそれよりも少し難易度を上げたものがまた先生から渡され、同じようにそれをミスなく弾けるように練習し「習得」するという、その積み重ねのことでした。ですので、「曲が好きか嫌いか」というのはまるっきりレッスンには不必要なもので、そんなことは考えたこともなかったのです。

驚く僕に、M先生はさらにこう続けます。

「音楽は感情の表現だから、自分が好きだと思えない曲を演奏するべきじゃない。自分の好きだと思える曲で、好きだというノリを他人に伝えるのが大事」

楽譜に書かれた音符通りに鍵盤を押せたら、それが「弾けた」ということだと思っていた当時13歳の僕にとって、青天の霹靂のような言葉でした。

 

M先生は中学一年生から三年生の頭までの2年間、僕のレッスンを担当してもらった後、突然「沖縄にJazzの修行に行く」と言って旅立ってしまいました。M先生以外にレッスンしてもらうなど当時の僕には考えられず、そのままヤマハの教室を辞めました。あれだけ「続けなさい」と言っていた親も、そろそろ受験勉強の邪魔になってきた、趣味以上の成果は今後出ないであろうその週に一度の習い事を、すんなり辞めさせてくれました。

 

 

るるぶ沖縄ベスト’16 (国内シリーズ)

るるぶ沖縄ベスト’16 (国内シリーズ)

 

 

M先生に教えてもらったものは、聞いたことのなかったジャンルのミュージシャンや音楽、Jazzのコード進行の基本理論、アレンジの方法論などなど、枚挙にいとまがありません。本当の意味で自分の「レパートリー」と胸を張って言うことができるようになったモンゴ・サンタマリアの「Watermelon Man」や、チャック・マンジョーネの「Feels So Good」といった曲たちは、今でも宝物です。 

フィール・ソー・グッド

フィール・ソー・グッド

 

 

 

グレイテスト・ヒッツ

グレイテスト・ヒッツ

 

 

 

しかし、そんな数々の教えをも圧倒して記憶に残っているのが、先生が僕のために試演してくれる時の楽しそうな姿でした。「この曲が好きで好きでしょうがない」といわんばかりに、時に鍵盤を叩き付け、時に髪を振り乱し、時に汗腺を爆発させ、ミスタッチも厭わない先生の姿に感じた興奮こそ、今も僕が音楽を聴き続ける理由に他なりません。

 

楽しいと思えば人は伸びるんだなあ、という話

大した実力でもないですが、それでもM先生に教えていただいた2年間で、だいぶエレクトーンがうまくなり、聞く音楽の幅が増え、それが契機で始まった縁がいくつもあるわけです。そこそこ練習も課せられましたたが、やっぱり好きなことはいくらやっても疲れないもんで、苦しい思い出はみじんもありません。10代のころになんであっても寝食を忘れて取り組んだことがあるというのはかけがえのない経験でしょう。

いつか子供ができたら、エレクトーンじゃなくてもピアノか何か、やっぱり楽器を習わせたいなー、と妄想しています。別に僕の好きなジャズやらフュージョンやらじゃなくてもかまわないので、自分の好きな曲を好きなように演奏してほしいものです。その時は、願わくはM先生のような方にご指導を、と思うのでございます。

 

お子さんの情操教育にヤマハ音楽教室を!以上、本日はヤマハの回し者と化した田島でした。ではまた。