Add Some Comedy To Your Day

フリーの小噺と好きな音楽

歌詞は音楽の全部ではないかもしれないけど、一つの要素ではあるでしょ、という話

夏バテでラーメンの話なんかしたくもないので別の話。

 

定期的に話題になるような気がしますけどね。

http://togetter.com/li/853001

 

歌詞はもちろん音楽の全てではない。ただ、「歌詞聴きたきゃ詩でも読んでろ」というのも、(多少誇張した表現だったとしても)ちょっと乱暴すぎ。さかのぼれば、古代ギリシャの時代から21世紀の今まで、歌詞のある音楽というものが常にポピュラリティを得てきたという歴史を見れば、「音楽に歌詞は必要ない」というのも相当歪んだ発想だとは思う。

 

感情表現の一種としての音楽、という側面からすれば、歌詞の内容やメッセージ性を音楽がより劇的に表現するためのツールとして優れた役割を果たすということは言うまでもない。が、それはそれとして、個人的に「この曲はこの歌詞じゃないと成立しないわ」という強い確信を持つよう音楽では、さらに別の側面からも「歌詞」という要素を組み立てられているような気がする。

 

ここで、私の音楽聴きとしての師匠、大滝詠一氏のファーストアルバム「大滝詠一」(1997年にソニーレコードから出たCD版)の、本人記載のライナーノーツから、上記問題に関連すると思われる部分を引用してみよう。引用部分は、アルバム内の「びんぼう」という一曲に関しての解説である。

 

~以下引用~

C&Wのヒット曲に「BIMBO」(ジム・リーブス歌)というのがあり、それがFENから流れてきたので思いついた作品です。別に当時私が非常に貧乏であったとか、生活に困窮していたという事実は全くありません。単なる音(おん)が面白いと思って作っただけで、全く深い意味はないのです。ところが我が国では古くから〈言霊信仰〉があり、どうも〈言葉〉を異常に神聖なものとしてとらえる傾向があり、未だに〈活字〉でなければ信用されないという傾向があります。(話し言葉がなかなか発達しません)ですから「びんぼう」と書いたのに、聞く人は〈貧乏〉と漢字で受け取ってしまうようで、貧しい人が多いせいでしょうか、「びんぼう」を笑うという傾向は受け入れられないようです。(志ん生さんの「びんぼう自慢」という先例も、例外として処理されているのでしょうか?)

歌詞は100%コジツケで、出だしの〈汗だくに〉というのは英語の「I SAID」が〈汗だ〉と聞こえるという解釈の下に(『空耳アワー』みたいなモンです)〈汗だくに〉という言葉を思いつけ、後はストリー(原文ママ)に仕立て上げただけのことなのです。

 ~引用終わり~

 

大瀧詠一

大瀧詠一

 

 

面白いのは、これを書いたのが、初めて日本語でロックという音楽を作った(と、ものの本には書かれることが多い)はっぴいえんどの一員であり、その後も盟友で、それこそ「詞だけでも芸術として成立させてしまう」天才・松本隆と二人で、数々の名曲を作り上げた大滝師匠が、言葉の「意味合い」よりも、どちらかというと「音楽的な響き」という観点で歌詞を重視していたということだろう。少なくとも、この「びんぼう」という曲に関しては、その側面が強い。

職業音楽家の人には上のような傾向が強いような気がするが、言葉の「意味合い」を重視する人もまた一定数いて、「おん」と「意味合い」とどちらを尊重するかはそれぞれの感性と体験にもよるものになるのだろう、そのどちらかが正しく、どちらかが間違っているという種類の話ではない。その折り合いの付け方が非常に素晴らしかったからこそ、松本・大滝コンビの楽曲は優れて音楽的で、かつ詩的でもあったわけである。


ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌/1969年のドラッグ・レース - YouTube

 

 

あまり関係ないが、普段デザイン関係の仕事をしている自分には、こういった両者の摩擦は身につまされるものがある。よく、デザインのテンプレート出しなんかを頼むと、とりあえず全体の雰囲気とレイアウトの確認用で、文章の内容が「あああああああ」みたいな適当な言葉が入ったものを出すクリエイターがいるが、いろんなタイプのお客さんに提案する営業の側からしたら「冗談じゃない」と思うのだろう、そこで両者の摩擦が起こったりする。「デザインの叩きとはいっても、せめて意味のある言葉を入れてくれないと、客には出せない」という意見と、「デザインの雰囲気がわかれば、今回の要件は満たしているじゃないですか」というクリエイター側の意見と、どちらも間違ってはいない。「どちらか一方が間違っている」から争いが生まれる、という状況は案外まれで、大抵そういった諍いが起こるのは、お互いがお互いの立場を想像する力がない時なのである。

 

僕は「音楽」が好きだが、出会う音楽すべてに同じものを求めるのはとても窮屈だと考える。それぞれの音楽家がそれぞれに表現したいことがあるからこそ、ずいぶん長い歴史があるにもかかわらず、未だに毎日新しい音楽が生まれている。そこには、言葉として伝えたい具体的なメッセージがある場合もあるし、単に「語呂が気持ちいい」「踊らせたい」というのもあるだろう。「なんかよくわからないけどとにかくムシャクシャして」というのも、立派なロックンロールの初期衝動だし、「気持ちいいハーモニーを作りたい」というのもまた、とっても素敵じゃないか。その中で、歌詞が必要不可欠になる表現もあれば、邪魔になってしまう類のものもある。

同じ「音楽」でも表現したいことが変われば必要となる要素も変わる。その「要素」の一つとして「歌詞」がある。まあそういう感じでとらえればいいんじゃないでしょうか。こんなフニャフニャの結論で共感が得られるとは思いませんが。

 

最後に、私の一番好きな歌詞の曲を聴いてお別れしたいと思います。ごきげんよう

 


案山子/さだまさし(まさしんぐWORLDコンサート「カーニバル」) - YouTube