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笑点に学ぶ、「いじめ」と「愛のあるイジリ」の境界線  

 

もはや何百回とネットで見かけ、子供の教育に携わることのない人たちの間でも定番化したと思われる「バラエティ番組がいじめを助長している」疑惑に関する問題。私自身の意見を先に言えば、もちろんそういった面もなくはないのだろうが、いじめなんてものはテレビが普及するはるか以前から存在していたものだろうし、いじめるやつはそんなもんなくてもいじめるだろう、と。つまり、バラエティ番組はきっかけの一つでしかないと思っている。

だが、この問題については昔から気になっていたことが一つあった。それは、「他人の弱みに付け込んで笑いを取る」という構造のTV番組の元祖ともいえる「笑点」が、この議論の俎上に載ったのを、いまだかつて見たことがない、ということであった。少なくとも私の観測する範囲では、今まで見たことがない。

ためしに「笑点 いじめ」で検索してみると、「データ放送を使用した、視聴者が座布団を取ったりあげたりできるシステムで、新加入の林家三平の座布団が0の状態が続いている」というニュースは見つかった。

www.excite.co.jp

 

だがこれは、「笑点というバラエティ番組の構造が、現実世界のいじめを助長している」という文脈とは当然異なっている。

いったいなぜ、笑点は、いじめ問題と深くかかわらずここまで来られたのか。先代の司会・歌丸師匠が、「ハゲ」「死体」と罵倒された時も、現司会者・昇太師匠が散々「独り者」であることを出演者全員からあざけられた時も、笑点は「炎上」から遥か遠い位置にいたように思える。なぜなのか。ほとんどの人がこの番組を見ていないため、問題が露見していないのか。それはない。むしろ、しょっちゅうこの手の議論で炎上する「めちゃイケ」よりも、笑点は常に視聴率の面で上を行っているのだ。

今日は、笑点という番組のシステムを分析することが、「いじめ」と「愛のあるイジリ」の境界線を探ることになるのではないかという思いつきをもとに、私なりに笑点独自の4つの優れたシステムについて、見解をつらつらと書き綴っていきたいと思う。

 

 

笑点の優れたシステムその1

回答がターン制であり、なおかつ各人が同程度の弱点を持っている

笑点大喜利コーナーが極めて「いじめ」を生みにくい構造になっていることの一つとして、「全回答者に対して、共通に発言権が与えられている」ということがあげられる。つまりは「ターン制」であり、ある人物がある人物をイジれば、イジられた側の回答者は、先立ってのイジリに反撃の鉄槌を下すことが可能となっている。しかしこの「ターン制」は、各人の実力が拮抗していなければ当然意味をなさない。与えられているターン数が同じでも、対抗手段を持つ者と持たない者がいれば、そこに公平性が生まれないからだ。

だが、ここでも笑点はよくできている。司会者及び全回答者には、それぞれ何かしらのキャラクター、すなわち「イジりポイント」が与えられており、反撃も、攻撃を自分以外の他者に移行することも容易なのである。六代目圓楽が好楽に対して「スケジュール帳が真っ白」と挑発すれば、好楽はそれに対して「圓楽の腹の中は真っ黒」と返すことができる。予定調和ともいえるが、一方的ななぶり殺しになることはないので、極めて放送倫理上優れているし、平等といえる。

 

 

 

笑点の優れたシステムその2

イジられる側は、イジる側より大きい社会的権力を有している

笑点をよく視聴している方ならわかるとおり、初手で誰かをイジることが多いのは、実は落語の席次上は低い、若手のメンバーたちなのである。司会者・春風亭昇太は、大喜利を始める前の回答者への自己紹介を振る際、必ず何かしらの罵倒を入れてくるのが定番である。しかし、現在昇太より若手のメンバーがどれくらいいるのか数えると、実は林家たい平と二代目林家三平の2人しかいないことに気付く。同じく、毎回回答で誰かしらに罵倒を吹っ掛ける六代目圓楽は現メンバーの中では「若手」に数えられるし、しょっちゅう「大月イジり」を小遊三に吹っ掛けるたい平も、その小遊三より席次上はかなり下なのだ。

上司の部下に対するイジりは、「いじめ」につながる可能性が高い。なぜなら、そのイジリが不快であった場合に、部下はそれを上司の持つ社会的権力の前では言い出しにくいからだ。しかし逆の場合は違う。上司は部下のイジリが不当に自分の立場を貶めるものであった場合、それに対して「言いすぎだろ!」と叱責しやすい。そしてそこに至るには、部下が上司をイジってもいいという安心感がある職場環境が必要不可欠なのだ。好楽がしょっちゅう「よせよ!」と言っているのは、笑点メンバーが心理的に安定した状態でイジりイジられている証拠なのである。

しかし、こうした社会的権限が極端に弱く、一見すると対抗手段を持たない人物が笑点には存在する。そう、山田だ。現実に山田のイジられ率は高く、かなりスレスレのところを責められているように感じる時もある。

しかしこの山田すらも、次に紹介するシステムがセーフティネットとなって罵倒から身を守ることが可能となっている。

 

よせよ

よせよ

 

 

 

笑点の優れたシステムその3

回答権を持たない人物に与えられた、座布団の付与・没収権限

司会者は、もっともイジられることの多いポジションである。実際、先代司会者の歌丸師匠は「死体」「骨と皮だけ」「オバケ」「ハゲ」「謎の恐妻・冨士子」など、イジられ要素が極端に多かったが、そのたびに「歌丸ジェノサイド」と呼ばれる座布団全没収を実施する強硬手段で対抗してきた。このように、回答権を持たない、つまりイジる機会が少なく、イジられる機会は逆に多いポジションの人間が持たされる「座布団の付与・没収権限」は、しばしば不当なイジりへの対抗手段として機能してきた。

そして、前述の山田である。

山田は、正式に言えばこの座布団の付与・没収権限を持っているわけではない。彼の役割は、あくまで「座布団運び」であり、司会者の決定と指示に従って座布団の持ち運びをするのにすぎないのである。しかし、中世ヨーロッパにて宮廷道化師が大きな力を持つに至ったように、中国漢王朝において宦官が皇帝から重用されたように、山田もその特殊な役割から、次第に「現場判断」で職権を乱用し始める。特に有名なのは、しばしば「山田クビイジリ」を繰り出すたい平に対する制裁として行われる、背後からの突き押しからの座布団没収である。

もちろん、このような山田の専横は必ずしも黙認されるわけではない。自分に不利な回答をした者から座布団を奪ったはいいものの、司会者の「山田くん、○○さんに2枚あげて」という指示で覆される場面はしばしば見られる。しかし、やはりこの特殊な役割の果たす影響はなお大きく、たいして面白くもないにもかかわらず、山田は笑点の不動の座布団運びとして君臨し続けているのである。

たとえクラスの中での立場が弱くても、フィギアスケートで世界トップクラスだとか、将棋で29連勝したとか、そういう特殊なポジションがあれば、いじめは回避できる。よしんばそこまで特筆したものがなくとも、山田のように「座布団運び」というしょうもない役割でも生存することが可能となる。これにより、イジリが決定的な境界線を越えることは少なくなるのではないかと思われる。

 

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笑点の優れたシステムその4

セーフかアウトかの最終的なところは、一解答ごとに司会者の裁量で判断される

結局のところ、これが一番大きい。

いろいろなシステムを敷いたところで、ある言葉が「許せるイジリ」なのか「度を超えた発言」なのかということを、一定のルールに基づいて判断するのは難しい。そこには文脈があり、発言者の態度があり、イジられた側とイジった側との関係性がある。それを一緒くたに白か黒か判定しようとすると、言葉狩りにならざるを得ない。最終的には、「程度問題」である。その、「程度」とやらを見極めるには、ひとつひとつを人間が、個人の裁量で判断するしかないのではないかと私は思うのだ。

「個人の裁量」は、現代においてかなり忌避される傾向の強いものだ。それは、しばしば政治的独裁や、自由に対しての圧迫を連想させてきた。だからもちろん、すべてを解決する共通原理が存在すれば、それを利用するのがいちばん手っ取り早いし平等なように思える。しかし、たとえばある発言が「誰かを過剰に傷つけたかそうでないか」「許せる笑いの取り方かどうか」という問題を解決する共通原理はまだ発見されていない。とすれば、面倒でも、ひとつひとつの発言を個人が判定し、フィードバックを与える方法が、もっとも前向きで理にかなっているように私は思う。

先代司会者の歌丸師匠は、仮に六代目圓楽歌丸師匠の頭皮のことで笑いを取ったとしても、その時点で座布団没収を決定していたわけではない。その解答が「自分の常識の範囲内で礼を失しておらず」、かつ「面白い」と思われるものであれば、座布団を付与していた。微妙な判定もある。独善的なところもあったかもしれない。だからこそ、「個人の裁量」を振るう司会者にはそれなりのセンスが問われるし、何よりも重大な責任が伴う。55年を誇る番組の歴史の中でも、正式に笑点の司会者として任命されたことのある人物はわずかに6名というのが、それを現しているのではないか。

「いじめ」か「愛のあるイジリ」か、これを判断するのは、結局のところ人である。ここに近道はない。子供の問題であれば、教師や親など、周りの大人たちが、日々自分たちの道徳的センスを磨き続け、ひとつひとつの発言を、めんどうがらずにジャッジしていくほかないのである。「程度問題」から逃げてはいけないのだ。

 

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総評

ということで今日は以上です。

自分でも「そう、山田だ」のあたりから突然筆がノッてきた感覚がありました。やはり笑点と山田は偉大ですね。ぜひ、この笑点のシステムを全国の教育現場にも生かしてほしいと思います。ちなみに、現メンバーで僕が一番好きなのは昇太です。

それではごきげんよう

 

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