Add Some Comedy To Your Day

フリーの小噺と好きな音楽

『サザンオールスターズが店内で流れているラーメン屋は不味い説』を、ちゃんと考える

以前こういう記事を書いた。

 

add-some.hatenablog.com

 

 

で、「不味いラーメン屋で流れているBGM」についてもそのうち書こうと思っていたのだが、こっちのテーマは下手に書くと、「その音楽を作っている人」も「その音楽を好きな人」も、もちろん「その音楽をかけているラーメン屋さん」も、思いっきり傷つけてしまう恐れがあったため、ちょっと保留してあった。

しかし、そんな思い遣り深い僕ですら、今回の問題は真剣に考えざるを得ないほどに深刻である。それが『サザンオールスターズが店内で流れているラーメン屋のラーメンが、ことごとく不味い』問題だ。

何が深刻かと言えば、これ以上この問題から逃げ回っていると、僕自身がサザンオールスターズ(以下サザン)の音楽を嫌いになりかねないところまで事態が進行しているということである。ラーメン自体の不味さよりもこっち問題の方がマズイ。サザンは、僕に音楽の楽しさを教えてくれた大切な存在の一つである。罪深いのは不味いラーメンであってサザンではない。しっかりと問題を直視し考察することで、それを証明しなければならない。

それではいってみよう!

思い過ごしも恋のうち

思い過ごしも恋のうち

 

 

 

前提 サザンは悪くない

この問題を考えるうえで重要なのが、上でもすでに述べた「罪深いのは不味いラーメンであってサザンではない」という点であろう。サザンの音楽はあくまで「音楽」であるがゆえ、ラーメンの味の優劣に直結しない。当たり前だが、サザンを聴きながら美味いラーメン屋のラーメンを食ったら不味くなるというわけではない。ここで早くも結論めいたことが言える。それは、

 

サザンがラーメンを不味くしているのではなく、サザンをBGMに選ぶ層の中に、不味いラーメンを出すラーメン屋のオーナーが多く含まれる

 

ということである。つまり、「サザンの音楽」が「不味いラーメン屋のオーナー」に選ばれてしまう原因を突き止めれば、僕の長年の謎も解けるということだ。

なぜ不味いラーメン屋がサザンの音楽を選んでしまうのか考える前に、まずは「サザンの音楽」が持つ特徴について考えてみよう。

 

I AM YOUR SINGER

I AM YOUR SINGER

 

 

 

深くて軽い、桑田佳祐の音楽感

まずは「サザンの音楽」を構成する要素について考える。

「サザンの音楽」を構成する要素は様々だ。それは関口和之のベースだったり、松田弘のドラムだったり、ハラボーのコーラスだったり、90年代前半であれば小林武史のアレンジだったりするわけだ。が、ほんとのところを言えば、サザンオールスターズを聴くいちばんの動機は「桑田佳の歌、メロディ、そして歌詞」になるのではないか。

話をシンプルにするため、このほかにも多様な構成要素があることは承知したうえで、「サザンの音楽」とは、桑田の作る「歌」「メロディ」「歌詞」の3要素からなる、と言い切ってしまうことにしよう。そして、この3要素がどんな特徴を持つか、サザンの代表曲であり、不味いラーメン屋でしょっちゅう耳にする『希望の轍』から検討してみよう。

 

希望の轍

希望の轍

  • 稲村オーケストラ
  • J-Pop
  • ¥250

 

サザンの曲はおおざっぱに言えば「悪ふざけ」路線と「メロウ」路線に分けられるが、どちらのタイプにしても歌い方の面で共通しているのは「音節の省略」である。たとえばこの『希望の轍』でいうと、サビの「舞い上がる蜃気楼」の部分がわかりやすい。

これを一音節ずつしっかり日本語の区切り方で発音すると

MA-I-A-GA-RU-SHI-N-KI-RO-U

と計10音節になる。しかし、桑田佳祐の発音では

MAI-A-GARU-SHIN-KI-ROU

と、計6音節に省略されている。この「省略」は「二重母音を一つにまとめる」「母音を省略し子音のみ発音する」といった手法でなされている。いずれにしてもこの独自の歌い方によって「日本語なのになんか英語っぽく聞こえる」という不思議な現象が起こる。この歌唱法こそ日本のポピュラー音楽史上に残るエポックメイキングな桑田佳祐の発明である。1970年代に「英語圏で生まれたロックミュージックを、日本語で歌えるのか」という、今では考えられない論争があったそうだが、桑田佳祐のこの歌唱法は、それに対する完璧な回答と言えるだろう。

では、メロディーに関しても桑田佳祐は「英語圏で生まれたロックミュージックを日本人が歌う」というある種の「違和感」に完璧な回答をもたらしたと言えるのか。ある意味では「イエス」だが、しかし「完璧」の範囲は限定される。

この『希望の轍』にしてもそうだし、『真夏の果実』でも『いとしのエリー』でも『エロティカセブン』でも、何でもいいのだが、サザンの音楽のうち「売れた曲」のメロディーは、「ロック」というよりもっと古い50年代~60年代前半のアメリカンポップスや、それに影響された日本の「歌謡曲」がベースになっている。『希望の轍』の2番のAメロが、50年代後半にアメリカで火が付いたドゥーワップスタイルで始まるのも、サザンが「非ロック的」であることを物語っている。

もちろん、それに当てはまらないロック寄りの曲もあるにはあるが、そういう曲は「サザンと言えばこの曲」というようなラインナップには入らない曲だったり、桑田佳祐のソロ活動の中で生まれた曲だったりする。*1

 


桑田佳祐 - ROCK AND ROLL HERO

 

この、桑田佳祐がソロで発表した『ROCK AND ROLL HERO』を聴いてわかるとおり、彼は有り余る「ロックの才能」を持ちながら、サザンの活動の中ではそれをあえて封じ込めた節がある。それは、単にそういった「本格ロック路線の曲」が「売れ線ではない」という判断もあっただろうが、僕は桑田佳祐自身の「照れ」によるものが大きいのではないかと思う。サザンの曲が日本人的なアイデンティティーを感じさせすぎるメロウなメロディーだったり、反対に悪ふざけが極端過ぎたりするのは、桑田佳祐が「ロックミュージック」に対して心底憧れながら、日本人である自分がそれに真っ向からぶつかっていくことに対して、恥ずかしさや戸惑いを感じていたからではないだろうか。*2

こうした「照れ」を最も反映しているのが、桑田佳祐の書く歌詞だろう。「悪ふざけ路線」にはそれがモロに表れていて説明不要だが、「メロウ路線」に関してはどうか。『希望の轍』の歌詞の冒頭部分を引用してみよう。

夢を乗せて走る車道

明日への旅

通り過ぎる街の色

思い出の日々

うん、何言ってるかわからない。

サザンの曲の歌詞は、とにかく夏の湘南を想起させる「それっぽい雰囲気のワード」が並び、前述の桑田佳祐の独特なボーカルスタイルも相まって、多くの人が「記憶」はしている。が、どういう「意味性」を持っているのか、ということを考えると「うーん」とうなってしまうものが少なくない。圧倒的に耳なじみのいい言葉選びをするセンスがあるにもかかわらず、それをちゃんとしたストーリーとして組み立てることはあえて避けているのが桑田佳祐の作詞法の本質であり、そこに彼の「照れ」が見え隠れするのである。「TSUNAMIのような侘しさ」の意味性を説明できる人はなかなかいないが、雰囲気はなんとなく伝わる、意味不明の高揚感が押し寄せているというのが、桑田佳祐の書く歌詞のマジックである。

 

TSUNAMI

TSUNAMI

 

 

上記のように、桑田佳祐の「歌」「メロディー」「歌詞」についてのあらためて考えてみると、それらの要素は洋楽ロックへの「憧れ」と「コンプレックス」という非常に複雑な工程を経て発信されており、そしてその複雑さを巧妙に隠して、さわやかな夏のイメージだけを聴き手に残すよう作りこまれていることがわかる。サザンの音楽を一文で表すならばこういうことになるだろう。

「深い」努力と信念を持って、大衆に「軽い」印象を与えるための音楽

ある意味ではイージーリスニングに近いが、それらの類の音楽とサザンの音楽が決定的に違う面が一つある。それは、表現者側ではなく、どちらかと言えば受け手側の問題である。つまり「サザンオールスターズの音楽を飲み屋でマジに語る奴はいても、ポール・モーリアについてバーで真剣に語る奴はいない」ということである。

 

 

選んでいるのではなく、選ばされていることに気付かない不味いラーメン屋

さて、いよいよ本題である。「なぜ、不味いラーメン屋はサザンの音楽をBGMに選んでしまうのか」という問いについて。

前項で考察した、サザンの音楽に隠された桑田佳祐の徹底した「大衆音楽」へのこだわりを感じるほどに、わたしは一つの結論を得た。それは、サザンの曲は、何も考えなくても聞ける環境音楽、店内BGMにうってつけの音楽だということだ。

ではなぜ、その〈最適解〉と思われるサザンの音楽をBGMとして選んでいるラーメン屋のラーメンが不味いということになってしまうのか。それは結局「サザンの音楽」を選んでいるラーメン屋のオーナー側に、「サザンは環境音楽に最適」という気持ちなどさらさらなく、むしろ「俺は自分の強い"こだわり"でサザンをかけている」という思い込みがあることによるだろう。

不味いラーメン屋にありがちな特徴が、「客のためになってないないこだわり」である。たとえば謎のヘルシー路線。たとえば謎にきれいな外観。たとえばトイレに貼ってある謎のいい言葉カレンダー。たとえば謎のサイドメニューの豊富さ。そうしたすべてが上っ面のスタイルの模倣に過ぎず、信念に基づいていない口だけの「こだわり」ばっかりのラーメン屋が出すラーメンは、絶対に不味い。

サザンの音楽そのものは、深い信念に基づいた本当の「こだわり」によって作られた音楽であるにもかかわらず、偽りの「こだわり」しかもたない不味いラーメン屋にばかりその音楽が選ばれてしまう。不幸にもそれは、桑田佳祐本人の「大衆音楽」への強い「こだわり」が生んでしまったミスマッチなのだ。

「音楽なんてよくわからないからとりあえずサザンでもかけておけばいいか」という適当な店主であればまだ見込みがあるだろう。が、そういう人はサザンを選ばず、イージーリスニングやジャズを選ぶのである。

 

新ベスト・ジャズ100 ~プレミアム・スタンダーズ

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ということで、結論が出た。

サザンオールスターズが店内で流れているラーメン屋のラーメンが不味いのは、

「こだわった挙句サザン」という大衆意識の著しい欠如

によるものである。

みなさん、サザンが流れているラーメン屋はすぐ出ましょう。

本日は以上です。

 

葡萄(通常盤)
 

 

*1:強いて言えば『マンピーのG★SPOT』はロック路線と言えそうだが、これが売れたのはもっと下衆な要因だと思う

*2:大のエリック・クラプトンファンとして知られる桑田佳祐だが、同時に、クラプトン本人には会ったこともないし会いたいとも思わないという旨を公言している。