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フリーの小噺と好きな音楽

「ラブ&マーシー」を見て思い出した、僕がビーチボーイズを好きになった理由(少しだけネタバレ)

ブライアン・ウィルソン本人公認の伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』を見ました。公開されてから3週間くらいたつので随分今更になってしまいましたが、一応ダラダラ書いておこうと思います。

 

自分は日曜日のお昼の時間帯に見に行きましたが、この手の音楽映画にしては割合多くのお客さんがいましたね。若い女の子のお一人様というのも、何人かいたようでした。あくまで僕個人の実感ですが、昨年の「ジャージー・ボーイズ」よりも、はるかにお客さんの層の厚さを感じました。「どこにこんなビーチボーイズファンが隠れていたんだろう」という感じです。

 

そう、この映画が対象としているのは、間違いなく、徹頭徹尾「ザ・ビーチボーイズもしはブライアン・ウィルソンのファン」でしょう。先に例に挙げた「ジャージー・ボーイズ」の方は、それに比べると対象としている観客層はずっと広かったと思います(少なくとも日本では)。その根拠は、「ジャージー・ボーイズ」がもともと本国アメリカですでにかなりの評価を得ていたミュージカルであったこと、クリント・イーストウッドという「内容を知らなくても彼が監督した作品は全部見る」という類のファンを多く持つ人物が監督を務めたこと、「君の瞳に恋してる」という、「フランキー・ヴァリ」という歌手を知らない、普段オールディーズと呼ばれる音楽を聴かないような人たちでも知っている曲が存在することなどです。日本ではあまり話題になっていないような気がしますが、「映画」としての可能性というか、エンターテイメント性という意味では「ラブ&マーシー」よりも「ジャージー・ボーイズ」の方に軍配が上がるのではないかと思います。

しかも、紆余曲折ありながらも最終的にアメリカンドリームを手にしたフランキー・ヴァリに対し、ブライアン・ウィルソンの人生は「ペットサウンズ」以降喪失の連続で、伝記としての華やかさに大きく欠けます。ゆえに「ラブ&マーシー」は、一人の男の人生ドラマとしてはあまりにも暗いと言わざるを得ません。ブライアン・ウィルソンというのはそういう人物なのです。ゆえにこの映画は、伝記物とかドキュメンタリーとか、そういう目線で見るとエンターテイメントとしては救いがなさすぎます。まあペットサウンズのレコーディング風景は感動させられましたが(ハル・ブレインの「君はフィル・スペクターを超える」のセリフにはグッとくるものがありました)。それも「伝記的側面」というよりも「音楽的側面」の感動だったと思います。そういうわけで、この作品は相当純度の高い「音楽映画」であり、ブライアン・ウィルソンという「有名人」の人生を起承転結・面白く描いたものとして映画を見に行った人はがっかりしたのではないでしょうか。

 

映画は最後、理解者であるメリンダたちの助けで立ち直り、音楽シーンに復活したブライアンが、自身のソロ曲「Love & Mercy」をコンサートで歌う場面で終わります。暖かい声援と拍手に包まれる幸福なひととき。ですが、これをハッピーエンドと呼ぶには、失ったものがあまりにも大きすぎるということを、映画の中でブライアンの作り出した音楽を追ってきた私たちは、そのブライアンの歌声によって認めざるを得ません。

「Love & Mercy」は、確かに名曲です。しかし、その曲ではかつてビーチボーイズの素晴らしい音楽を形成していたブライアンの美しいファルセットを聞くことはできません。さらに解決できない「物理的な問題」として、(映画冒頭でその死が少しだけクローズアップされる)デニス・ウィルソンだけでなく末弟のカール・ウィルソンもこの世を去ってしまったということを忘れるわけにはいきません。カムバックを果たしたブライアンが、一人ピアノを弾きながら切々と歌う姿は、夏のサウンドトラックたる「ザ・ビーチボーイズ」の音楽がもはや、彼らが残したレコードの中にしか存在しない、というあまりにも残酷な事実を突きつけているような気がします。

 

ビーチボーイズが残したのは、ほかの何物でもない、素晴らしい「音楽」です。そこにはなんのメッセージも、なんの意見も、なんの時代性もありません。10代のころ、私はそうしたビーチボーイズの音楽を「能天気」で「幼稚」で「無思想」なものだと感じ、そうではない、もっと「思想のある音楽」だと思うことができた音楽(ドアーズとかボブ・ディランとか)をありがたがって聞いていました。僕がようやくビーチボーイズを心の底から「良い」と思えるようになったのは、20代も後半になって、もうとっくに体も心も頭も頭皮もティーンエイジャーではなくなってしまってからなのです。

今、僕が大人になってこれほどビーチボーイズの音楽を愛おしく聞けるのは、ひとえにその「思想のなさ」であることをこの映画は再確認させてくれます。「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、ブライアン・ウィルソンの作り出した音楽は、世につれることも、世がつられることもついになかったのではないかと思います。だからこそ、その歌は音楽の中にしかない限りなく純粋な世界です。クラシック音楽の世界ならいざ知らず、「時代性」や「新しさ」と言った呪縛から通常は逃れられない「ポップミュージック」という世界で、こういう類の音楽を生み出したブライアン・ウィルソンという人がいかに特異な人物で、それだけに多くの悲哀があったことを思うと、最後の「Love & Mercy」を歌う彼の姿は涙なしには見られないのです。

 

悲喜こもごも(ほとんど悲)のこの映画ですが、ビーチボーイズファンとしては、映画館のいい音響設備でビーチボーイズの音楽が聴けるというだけでも、十分にこの作品を見に行く動機になります。そんな観客の期待を心得て、映画は60年代前半、ビーチボーイズが「サーフィン・車・女の子」のバンドであった時代のヒットメドレーで始まります。この冒頭があったことで、館内のお客さんはグッと前向きな気持ちでこの映画に向き合えたのではないかと思います。また、上でも述べたように、「ペットサウンズ」のレコーディング風景は資料的価値としても素晴らしいです。犬を鳴かせるところとか頭に火をつけて走り回るところとかは笑いました。有名な逸話ではありますが、実際ビジュアルにしたらいかにこのレコーディングが狂気の渦中にあったかわかります。「Good Vibrations」のヴァイオリンのくだりなどは、自分がマイク・ラブでなくともその場にいれば間違いなくイライラしていただろうと、天才とじかに付き合うというのはいかに気苦労が多いかということが目に見えて確認できたこともよかったです。「ペットサウンズ」反対派の身内急先鋒として語られることが多いマイク・ラブですが、「まあその気持ちもわかる」と思えたのも大きな収穫でした。

 

 

ペット・サウンズ

ペット・サウンズ

 

 

ビーチボーイズ、及びブライアン・ウィルソンファンにはぜひ。おススメの映画です。

 


「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」本予告 - YouTube