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トイレットペーパーをカラにした状態でトイレを出るヤツが人としてダメな理由

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ここのところ連続で、大をするために入ったトイレの紙が、芯の部分しか残されていませんでした。怒る気持ちを抑えて、冷静に、このトイレットペーパーカラカラ残しのどこが問題なのかを今日は指摘していきたいと思います。個人攻撃ではなく、あくまで世直しのためだと思って、トイペカラカラ野郎の方がいらっしゃったらご一読いただければ幸いです。

 

思いやりのなさがダメ

ハイ、ここで質問です。あなたがトイレで大をして、ケツを拭こうとした時に紙がなかったらどう思いますか?イラッとすると答えた方。あなた以外の方も大体そうです。自分がされて嫌なことは、他人にもしない。思いやりの基本です。その「他人」が、顔の見えない、今後二度と出会うことのない、便座に残されたケツの温もりを共有するだけの誰かであってもです。今すぐ行動を改めましょう。ちゃんとしようぜ、マジで。

 

衛生面でダメ

考えてみて欲しいんですけど、世の中に「ピッタリ」なんてことはそうそうないわけですよ。トイレットペーパーの残量と、ケツの残存ウンコ(以下「残ウン」と表記)がピッタリ一致するなんてことは滅多なことじゃないんです。にも関わらず、トイレットペーパーがカラの状態で終わっている。これは何を意味しているか。妥協してるんです。トイペカラカラ野郎が自分のパンツを履く瞬間の深層心理を可視化すると、こうです。

 

「まだ残ウンの気配があるけど、トイレットペーパーが終わっちゃったからまあいいや」

 

いやいやいや。まあいいか、じゃないでしょ。ちゃんと拭けよ。立ち上がって、トイレットペーパー手に取って、カラのヤツと取り替える手間が、ケツに残ウンついてる可能性がある状態で生活する不快感を上回る意味がわからねーよ。ちゃんとしようぜ。マジで。

 

自分だけ社会の甘い汁を吸う姿勢がダメ

あなたの使ったそのトイレットペーパーは、誰がつけてくれたものですか?自宅以外であれば、多くの場合あなた以外の誰かですよね。他の誰かのために、見返りはないけれど自分ができることをする。それが社会なんです。あなただけその、社会の甘い汁を吸って自分は社会のために何も貢献しない、というのはどうなんでしょう。

備え付けてあるトイレットペーパーを使うだけ使って、自分はカラになったものを替える手間すら払わない。それは、言うなれば生活保護費を受け取るだけ受け取って日がな一日就職活動もせずパチンコしてるのと大差ないのです。ちゃんとしようぜ、マジで。

 

まとめ

以上です。このブログを見て、少しでも世の中のトイペカラカラ野郎が減ってくれることを祈っています。ちゃんとしようぜ、マジで。